電子の技術ーテレビジョン 東京シネマ1961年製作
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- Опубликовано: 17 ноя 2013
- 製作:東京シネマ 企画:松下電器産業 1961年 カラー 25分
1961年製作されたこの映画は、テレビジョンの原理、製品化、品質管理、さらにカラー・テレビの出現への道筋を見事に描いている。
現代の液晶、プラズマテレビの原点。ブラウン管の開発にかかわったある専門家の夢は、お茶の間に壁掛けテレビをといわれていた。これがまさに現実となる。
今回、ネガテレシネによりデジタル化し高画質で配信しているため、鮮やかな映像が甦っている。 Наука
よくわからん芸能人が出てこない、変なクイズが挟まれない、工場の人へのインタビューとか無い。こういう番組をやってくれたらなぁ…
14:07 強度試験のところ、普通に心構えしてなくてドキッとした
携帯やスマホサイズでテレビが見れるようになるとは思っても見なかったでしょうね。
基礎を作った先人の方々には敬意を払います。
松下の一貫生産のシステムも素晴らしいけど、この映画の製作技術がまた素晴らしい。
フィルム撮影フィルム編集の時代に、よくぞこれだけの作品を作り上げたとものだと感心します。映像の美しさはもちろん、テレビ受像機の原理や各製造工程の作業を分かりやすく説明するための工夫が随所に見られて、当時の映画製作会社の方たちの努力と技術の高さが伺えます。現代はデジタルで編集も視覚効果も自在ですが、これだけの作品に仕上げることは並大抵ではありません。何度も見てしまうほどに見応えのある映画です。
この時に、会社の技術者として新技術を研究開発したかった。何も開けていない道を進むのって絶対に楽しいじゃん。
懐かしい映像です、これこそ電子工学と言えるでしょう。
このような精密なもの造りをもう一度経験してみたいです。
現在では、すべて一枚のCPU基板で処理されており、味気ない感じがしています。
私は大学で電子工学専攻しましたが、その動機が、真空管電子回路です。
アルミのシャーシーを加工し、真空管を使って、アンプを組み立てたことがあります。
電子技術になったつもりで工作していました。
また、研究室では、パイレックスガラスをガスバーナーを使って加工し、電子管をくみたてた経験があります。大変懐かしいです。
子供の時(昭和生まれです)、通電中テレビの後ろの中を覗いて、真空管からの光が、町の明かりに似ていて、きれいだと思いましたね。思い余って手を触れて感電した(汗)苦い思いをした事がありましたが、この動画でもう一度真空管のテレビを覗きたい衝動に駈られます。また、現在失われつつある、物作りに対する日本の姿勢を取り戻して欲しいと祈らずにはいられません。貴重な動画ありがとうございます。
え?...感電大丈夫でしたか!?
町の灯り、うまいこと言いますな!僕の昭和51年なんですが、ギリ見たことあります。好きです。あの灯り。
平成二桁生まれですが、確かに電子銃のオレンジ色のキラキラとした光が見えました。
てれびしびれて(回文)
感動です。50年以上前にこの技術、そして工場の人たちの細かな作業と製作技術。素晴らしいです。下手な最近の映画やテレビ番組観るよりずーと面白く良い作品でした。
25:51
つい十数年前まで主流だったアナログのブラウン管テレビの構造と製造過程、そして黎明期の半導体の製造過程が精緻な映像で記録されている。60年前とは思えない精緻さ。TVのシャシーを組み立てている工員さんの表情が美しい。
今時のテレビ番組なんかより面白くて作りが丁寧
映画だからね
60年近く前の映像なのに夢を感じるのはどうしてだろう。そしてテレビジョン工場で働いている一人一人が誇りを持っているようだ。今の日本が必要とするものがここにあるように思う。
17:05辺りにて、CG風のグラフィックが観れたのには驚きました!
アナログ技術でもあんな美しいグラフィックが作れるなんて。
今となっては枯れすぎた技術に写るのでしょうが、当時の方たちの積み重ねによって今の生活、技術があるのだと感じました。
古くさい考え方とは思いますが、家電に限らず今の技術、方法論は過去からの積み重ねなのでこの様な資料が一般に簡単に見られる良い世の中になったと思います。
枯れたというよりもはやロストしてますね。再現できないんじゃないでしょうか。
ブラウン管はあんま見ないけど、真空管なら秋葉原とか行けばそれなりに出回ってる
家電業界が最も潤った時期だね、良くも悪くも昭和は素晴らしい
きれいな画像で感動しました。そして日本の物作りの良心を見た気がします。割りと詳しい解説で勉強になったというか、今の暮らしがあるのもこうした先人たちのご苦労お陰なんだなと感謝せずにはいられませんね。
半導体に変わってからユニット単位になったり1枚基盤になったり製品精度と製造効率は上がって製造に必要な人数も少なくなって、最後は為替レートの関係で製造の海外移転が進んで日本から製造が無くなっていきました。
戦後十数年でこの進歩はまさに”東洋の奇跡”ですね。
焼けたり埃かぶったりしわだらけになったりの印象しか無い部品やおねえさん達が、ピカピカのピチピチだ!!
見ているだけで元気になりました。
このおねえさんたちも生きていれば90近いんでしょうね
時の流れや人間の儚さを感じます
もののあはれ
部品から完成まで全て松下って、すごいことですね。
鉄工所から始まって自動車の組み立てラインに至るという、かつてのアメリカの自動車ビッグスリーの工場みたいです。
企業が海外移転をすると言う事は、これら雇用と技術の流出でもあります。
日本で頑張っている企業にはぜひ国内雇用を守る意味でも国内で踏ん張って頂きたいですね。
古いエンジニアから聞いた話ですが大型のブラウン管を創るのにはいろいろな製造ノウハウが必要だったそうです。正にロストテクノロジーになってしまいましたが。
この時代のエンジニアは大変でもやり甲斐があっただろうな。今時のエンジニアは悲惨だよ。
この時代TVのアンテナは1台に1本で今の様な分配という懸念が無かったので
団地等の集合住宅の屋上には各家庭が建てたTVのアンテナが乱立しておりました。
この頃、工員のお姉さんだった方たちに見てもらいたい。おそらく今は80~90歳くらいの方だろうから。
現代の感覚だね
この時代の女工さんはみんな中卒で働いて二十歳頃には結婚してたよ
だから映像に映ってる人たちは、今頃70〜80才じゃないかな
すごい!!この時代を駆け抜けたかったです。
貴重な資料を見させて頂きました!
実家に昭和34年度の「松下電器総合カタログ」なるものがあったのです。
その頃はトランジスタはまだディスクリート(ま、個別部品)扱いだったのに、
2年後のこの動画ではなんとトランジスタテレビが製品になってる!(高周波回路をどんなTrで組んだの?)
この頃の貪欲な新技術の取り込みってすごいよ。
高周波は、2SA100みたいなものでしょうね。これより古いかな
手作り感が半端ない。
この映画が昭和36年ということで、うちには既にテレビがあったんだけどそんな昔にもこんな技術があったのだと感心する。現在はどれだけ進歩したのだろうか。
双三極管の組み立て、合金型Geトランジスタの製作過程、ゾーンメルト法による半導体精製等々、話には聞いていたが動画では初めて見るものが多くて刺激的。
“真空管など進歩した電子技術”という文には時代を感じますね。
バーディーマーカーのスイープ波形とか、懐かしい。
いやあ素晴らしい内容でした。画質も最高です。
屋根の上に立ち並ぶ真新しいVHFアンテナが、時代を感じさせますね。
鮮明な画像と内容に深く感銘を受けました。技術の進歩=豊かな未来 という図式をだれも疑わなかった良き時代でした。格差や貧困が進み、自然災害の脅威に怯える現在の姿にはあらためて考え込んでしまいます。
格差も自然災害も、この時代の方が酷かったのは間違いないです。
多分、この時代には今より希望が多かったのでしょう
それと過ぎた時代は思い出に美化される
オートメーション化された工場といっても、おねえさんたちの手作りに近いですよね。
人間のひとりひとりの能力が、産業にしっかりと反映されていた時代ですね。
今はいくら手先が器用でも熟練の技を持っていても、産業社会で必要とされなくなってしまった。
自分は子供のころから手先が器用だったので、それを活かせるような仕事がしたかったけど、大人になったとき手先のテクニックが必要な仕事はめっきり無くなっていて、あっても労働条件が劣悪だったり給料が激安だったりで愕然とした覚えがある。
うーむ、「技術の良心」
改めて新鮮。。
up有難うございます。管球いいですね。昭和40年代初期の頃に
教育テレビで 、テレビ技術講座がありました
自動車構造講座もありました
弟が見てました
とても貴重な映像遺産ですね。
この時代の未来に今生きているという驚きと『繋がっている』ことへの感動、とても新鮮です。
道に落ちている石ころで検波回路を作りラジオを聞いていた。
61年は、生まれた年だが、3,4歳のときやっと田舎にも何台かTVがはいってきて
よく近所見に言っていたなあ 親父はTVキットを購入し作って家でも見れるようになった
23:15で観れるもの、1961年のものでありながらコンピュータ・グラフィックスっぽくっていい感じです!
この作品の映像に有りますMEC 高槻工場は今はエコ ソリューションズ社高槻工場に名称が変更されて
今でも操業中ですね🎵
ガチャガチャまわすチャンネルがよく壊れた記憶があります。電波の微調整は当時は手慣れたものでした。懐かしいです。
ナレーションの終わりで「21世紀への階段は…エレクトロニクスによる映像と音の限りなく華やかな花道です」とあるが、そのエレクトロニクスによる映像と音の華やかな21世紀への階段を登りきったところに待っていたのは、ネットやAIといったサイバーテクノロジーに取って代わられた、別の華麗なる、しかし人のぬくもりが感じられない「花道」だったとは。。。
階段を登り切ったところに待っていたのは
「NHKの集金人の訪問」でした!
素晴らしい動画
電験の理論分野の勉強している人は是非見てほしい。
トランジスタ組み立ててる女工さんたち職人やな…
全てナショナルの当時の女子社員でしょうか。存命なら70歳か80歳でしょうか。工場もテレビも女子社員も綺麗ですね。
この当時のナショナル社員なんて花形職業だったのでは?
電極の穴の本来の用途が初めて分かった。ラジオペンチ一本であんなに手早く配線できるものなんだね。
強いガラス、高い温度や湿度に耐える良心
最近、金儲け一辺倒たる私たち日本のメーカーや技術者は良心を失ってはいなかっただろうか
単に金儲けのための製品作りなら
中韓に変らず
しかし日本の製品を世界が今日も認めるのは技術ではあるまい
私たちに残っている日本人の良心なのだ
それほど金儲けをしないと暮らしていけない今の時代
物価は上がって給料は変わらない
@@SuitTrain むしろ給与は下がっている😅
当時は日本が一番金儲けにあくせくしてた頃だよ。
18:50 この若い子達は、今じゃ80代の年寄りか。
人力によってテレビ受像機が量産されていくところは凄いですね!
部品の取り付けをミスらないだろうかと心配になります。
今だったらコンピューター搭載の機械によって、機械だけで量産されているでしょうね。
20世紀後半になって、電灯以外の家電製品や自家用車が普及したのは、コンピューター搭載の機械によって、より多く量産出来るようになったからだと思います。
歴史の裏を暴くのって楽しいですね!
この番組はパナソニックの提供でお送り致します。
白黒テレビだが、部品数の多さ、配線材の多さには
ビックリしましたね
それを流れ作業で、作っていた昭和36年、凄いな
15:30から映っている飛行機や船に時代を感じるとともに今となっては交通関係の貴重な映像だと思います
ANAのバイカウント?やJALのDC-6?や旧:関西汽船の客船とか(もし今のロイヤルウィングだったら驚く!)
でも今は茨木のテレビ工場はもう無いですね
某大手物流会社の関西拠点ですね
19:25くらいから見えるお姉さん方の手がキレイで見とれてしまいました☺️
7:18 この時代の映像では「いばらぎ」って言っているのが多いのはなぜだ
ラジオのバリコンを懐かしむ人がいるけど可変容量ダイオードはアナログテレビ時代から
時代の要請としてあったわけだな
真空管アンプとか趣味で作ってる人はテレビの配線作業のシーンは圧巻だろうね~
ラジペンをあんな手際よく使ってリード線をラグ端子にからげられる人なんて今はそんな居ないだろ
20:49くらいで聞ける電子音、当時のものとしてはなかなか凄いですね!
カラーテレビの映像出力テストで観れるアナログ的なCGはいい感じです。終盤にてオシロスコープの波形として観れるアナログ的CGもいい感じです!
純電子式のオルガンは出始めでモーグ・シンセサイザーも登場していない時代、この音はどのように作られたのか気になりますね。もちろん真空管やトランジスタを使って発振や変調はできるわけですが、それを音楽的に使いこなすとなると?
11:50すごい美人さんですね😮
素子の配列が真空管アンプのように手作業でこれが日本で作られていた。
まさに世界の工場だったころの日本。
当時の価格でカラーテレビは30万 当時の大卒初任給が15700円 クルマ買うくらいの感じですね。
すごい…手作り…
15:47 いつぞやの京阪特急に「テレビカー」というのがありました。
こういう方式でアンテナが動いていたのですね。
今の電子技術を2080年頃に見る人は・・きっと同じような感覚で見てしまうんだろうなぁ。
我々の世代は真空管からCPUまで結構激しい変革だったけど、まだ宇宙文明0.72なんだよねぇ。
子供の頃すでに古臭いと思っていたテレビのデザインが、今だとおしゃれに見えてしまうのな何故だろう
アノードキャップで感電して指に穴が開いたり
叩けば直る昔のテレビ、叩けば壊れる現在のテレビ。
最近テレビを観なくなったなあ。それでも受信料が引き落とされるw
居間にあるのはブラウン管テレビ。ベットの枕元の天井に貼ってあるのは液晶テレビ。
by 豆腐の角で頭打って……
正常になりたい
二十歳の頃、カラーテレビ修理技術者の資格取りました。
今のテレビ?、、、サッパリです。(T_T)
昔は良かった、、、←歳取ると決まって言う
SONYのトリニトロン36型は重さ94kg!
ソ・ソニータイマー・・・(゚∀゚〃)
rockswampbreak 昔は、シャープクレジットは与信が甘くてお世話になった!
by 行員上がりの土建屋
ここに映るねーさんたちはもう70代以上かぁ
何を思うだろうか
80歳代の人もいるだろうね。
全てがアナログ 面白かった時代
明日は今日よりも確実に良くなってた時代
郵便定期預金に預ければ10年で倍になった時代
画像が鮮明なので信じられないが、この映画の中で働いている若い女工さんたちはもうとっくに80歳を超えているんだな。またこの映画に携わった人々の多くはもうすでに鬼籍に入っているのだろう。こうした人々の尽力があって今の私たちの生活があることを忘れてはならない。
59年前なので70代後半もいると思われる。
俺達がその恩恵を受けている事も忘れてはいけない。
人工頭脳
この当時・・・へぇ~
現代・・・・・ん?
今では考えられない演出が。
深夜の無人工場でテレビの調整なんて21世紀の現在でも出来ません。
東京シネマの撮影演出はある意味すごいですね。
やはり演出でしたか。無人で機械がひとりでに調整なんてできるのか?と疑問でしたが、、、
これ、映画は少々大げさに調整と言ってますけど、終夜エージングのことだと思います。
ちなみに、製造工程での必要なエージングも「調整」の一環です。もと電子機器製造従事者より。
電気製品も扱ってた村の萬屋です 昭和の時代は儲けさせて頂いてました
高度成長やオリンピックの景気でしたね 当時テレビを お買い上げ頂くと
アンテナが付帯工事として付いて回りました 助手を雇ったりで大変でした
七十年代からカラーも滲みなく出るようになって 買い替えが発生しました
安い物でも十万円超してた時代です 御贔屓頂いた方々 お礼申し上げます
隣町に量販店出来たのが七十五年でした 電気器具販売は翌年止めることに
なりました おいしい時代でした
1:49後に左からになりますが
(カラー放送が全日の9割に成った頃。
いわゆる「腸捻転」前後でしょうか)
読売テレビ、朝日放送、関西テレビ、毎日放送、NHK2波
7:18 大阪の茨木も「いばらき」読みじゃなかったっけ?
実に見ごたえのある映像でした。
私は、3年前まで、電気機器メーカーに勤務していて、最初の3年間(1981~83年くらい)は、ブラウン管工場に勤務していました。
以後、半導体レーザー、撮像管、表示管、ビューファインダー管、業務用照明ランプ、点灯管、丸型蛍光灯など、様々なものづくりの現場で働いて来ました。
最近では、真空管を知らない世代も増えてきたこと、また、ものづくり、工場勤務に良いイメージを持っておられない方もいらっしゃるようで、残念でなりません。
そうした方々にこそ、この映像はぜひともご覧いただきたいと思いました。
身近に現場があるからこそ興味が持てることもあるでしょうね。
私は90年代業務用TVモニターを設計する技術者でした。しかし天下の松下はさすがに製造ラインや研究開発にかけるお金は凄いですね。同じなのは部品の壊れないマージンを取っているために燃えたりしないことでしょう。某国の家電品はそういうことを考えずに設計、無試験で売ってしまうから製品が次々と火を噴いたりするんでしょう。
自分の趣味で、昔の業務用モニター(Sony PVMなど)をいくつか所有しています。もともとの定価が凄まじい金額なだけあり、精密につくられていることに感動しています。
8:38←これって、何をしているのか分かりますか?
今、2020.11.08です。
現在の技術も未来の基盤と考えると、とんでもない未来がある😍
情報を電波に乗せるという形で乗せる情報がアナログかデジタルか位で概念は実の所あんまり変わらなかったりするんですな。
こんな時代があるから今があるんだな。戦後まもないのにすごいよね。
6:48パナソニック・ライティングデバイスですね。
照明器具の生産になりました。
7:17今は全く別会社の「倉庫」になりましたね。
某大手物流会社の関西デポですね。
7:28最寄り駅は「西三荘」だそうですね。
因みに門真市駅には記念館があります。
4:41真空管7DJ8今調べたらヤフオクにあった
当時はテレビを自分で組み立てるキットもあった。
僕が3歳の頃のビデオだけど、FM放送と同時にTV放送が始まったんだね☀️AFC、FMはFM、TVに不可欠だものね☀️
おじいちゃん
「ふ~ん 真空管とか進歩した技術か・・・」とか言って笑ってはいけない。
まあ今じゃ真空管は真空管にしか出せない独特の特性を味わうとか懐古的なイメージしかないが。
強いて言えば放射能には強い。
2022年、ケイ素と炭素を使ったパワートランジスターが実用化されています。凄い・・・
7:28 一部ですが「ららぽーと」などが
出来るそうです。
令和5年2月現在
03:10 ブラウン管の中を飛ぶ電子を視覚化された映像に感激。
04:41 真空管の「新製品」が印象的。
05:05 「トランスが要らない」のは戦時設計の危険なトランスレスとは別物でしょうね。
05:45 シリコン・バリオードとはバリキャップのようなモノ?
11:25 シャシーを色々な向きにできる組み立て工程が面白い。
13:17 検査をするにも真空管が暖まって安定するに時間がかかったのかな?
まだ戦後16年の当時の
テレビ工場について
勉強になりますね。
当時は2〜3交代勤務だったのでしょうか?
当時 最先端の技術に拍手👏
原子力発電所のビデオを見ましたが、電力の安定供給がなされていないと工場の機械の安定的な動作も無いわけですから、大事なんだなと。
全部つながっているんですね。
ナショナルの7DJ8は持ってる。まだ動くと思う。
古き良き時代と言うか素晴らしいですね。今の日本の家電産業は何でここまで衰退してしまったか。
電気業界を衰退させた経営陣と日銀の罪は重い
このときはテレビは夢の箱だったね。今では、それを利用して毒を流すようになってしまった。
1984のテレスクリーンが実現しつつあります・・・・
メイドインジャパンだな・・・
当時の映像を
今の時代に観れるとは
凄い❗
2022年の今は、当時からするととんでもない未来なんですね。実感しました。
14:30 家電のものづくりで一番最悪のシナリオは、故障することではなく、製品が人に危害を加えてしまうこと。 例えすべての製品が5年で故障するようなものでもメーカーは一切関知しないが、一人でもやけがや最悪死者が出たら即回収の対象となる。 映像では「技術の良心」と言っているが、実際のところは人に危害を加えないか(過酷な環境で燃えないか、有毒ガスを出さない等)確認をしてる。
12:04 からげ配線による実装は面実装全盛の昨今ではお目にかかれないですね
工場で働いてらっしゃるのが、ほぼ女性でしたね。現在では全てオートメーションだけれども、ひとつひとつ女性がネジ巻いていたのね。女性の社会進出を、大きく推していたのでしょうね。
綺麗な映像も凄いですね。
9:55 夜の雰囲気すき
初期のテレビには垂直同調や水平同調、明るさなどの調整ダイヤルが5個ぐらい並んでいたが
真空管とトランジスタは、共存していた時代があったとは
これがテレビジョンか