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よくわからん芸能人が出てこない、変なクイズが挟まれない、工場の人へのインタビューとか無い。こういう番組をやってくれたらなぁ…
インタービューで"ビエラ"って知ってる?と聞いてみたい。
ウザいワイプもないしね
60年以上前のTV工場見学ができるとは。しかもカラーで。いいものを見せてもらいました。
感動です。50年以上前にこの技術、そして工場の人たちの細かな作業と製作技術。素晴らしいです。下手な最近の映画やテレビ番組観るよりずーと面白く良い作品でした。
25:51
60年近く前の映像なのに夢を感じるのはどうしてだろう。そしてテレビジョン工場で働いている一人一人が誇りを持っているようだ。今の日本が必要とするものがここにあるように思う。
懐かしい映像です、これこそ電子工学と言えるでしょう。このような精密なもの造りをもう一度経験してみたいです。現在では、すべて一枚のCPU基板で処理されており、味気ない感じがしています。私は大学で電子工学専攻しましたが、その動機が、真空管電子回路です。アルミのシャーシーを加工し、真空管を使って、アンプを組み立てたことがあります。電子技術になったつもりで工作していました。また、研究室では、パイレックスガラスをガスバーナーを使って加工し、電子管をくみたてた経験があります。大変懐かしいです。
携帯やスマホサイズでテレビが見れるようになるとは思っても見なかったでしょうね。基礎を作った先人の方々には敬意を払います。
松下の一貫生産のシステムも素晴らしいけど、この映画の製作技術がまた素晴らしい。フィルム撮影フィルム編集の時代に、よくぞこれだけの作品を作り上げたとものだと感心します。映像の美しさはもちろん、テレビ受像機の原理や各製造工程の作業を分かりやすく説明するための工夫が随所に見られて、当時の映画製作会社の方たちの努力と技術の高さが伺えます。現代はデジタルで編集も視覚効果も自在ですが、これだけの作品に仕上げることは並大抵ではありません。何度も見てしまうほどに見応えのある映画です。
今時のテレビ番組なんかより面白くて作りが丁寧
映画だからね
子供の時(昭和生まれです)、通電中テレビの後ろの中を覗いて、真空管からの光が、町の明かりに似ていて、きれいだと思いましたね。思い余って手を触れて感電した(汗)苦い思いをした事がありましたが、この動画でもう一度真空管のテレビを覗きたい衝動に駈られます。また、現在失われつつある、物作りに対する日本の姿勢を取り戻して欲しいと祈らずにはいられません。貴重な動画ありがとうございます。
え?...感電大丈夫でしたか!?
町の灯り、うまいこと言いますな!僕の昭和51年なんですが、ギリ見たことあります。好きです。あの灯り。
平成二桁生まれですが、確かに電子銃のオレンジ色のキラキラとした光が見えました。
てれびしびれて(回文)
今となっては枯れすぎた技術に写るのでしょうが、当時の方たちの積み重ねによって今の生活、技術があるのだと感じました。古くさい考え方とは思いますが、家電に限らず今の技術、方法論は過去からの積み重ねなのでこの様な資料が一般に簡単に見られる良い世の中になったと思います。
枯れたというよりもはやロストしてますね。再現できないんじゃないでしょうか。
つい十数年前まで主流だったアナログのブラウン管テレビの構造と製造過程、そして黎明期の半導体の製造過程が精緻な映像で記録されている。60年前とは思えない精緻さ。TVのシャシーを組み立てている工員さんの表情が美しい。
この時に、会社の技術者として新技術を研究開発したかった。何も開けていない道を進むのって絶対に楽しいじゃん。
きれいな画像で感動しました。そして日本の物作りの良心を見た気がします。割りと詳しい解説で勉強になったというか、今の暮らしがあるのもこうした先人たちのご苦労お陰なんだなと感謝せずにはいられませんね。
動画に出てくる真空管テレビ(T14-Z1M)はつい先日ジャンク品をレストアした所でした。なんかシャーシ似てるなーと思って見てたら…まさか、あのテレビが作られた時の映像が見れるなんて感激です。
14:07 強度試験のところ、普通に心構えしてなくてドキッとした
CRT TV manufacturing. We used to own one in Ethiopia 40+ yrs ago. The national panasonic TV with 4 legs and a shutter door. The magnificient Japan🙏
家電業界が最も潤った時期だね、良くも悪くも昭和は素晴らしい
とても貴重な映像遺産ですね。この時代の未来に今生きているという驚きと『繋がっている』ことへの感動、とても新鮮です。
古いエンジニアから聞いた話ですが大型のブラウン管を創るのにはいろいろな製造ノウハウが必要だったそうです。正にロストテクノロジーになってしまいましたが。
部品から完成まで全て松下って、すごいことですね。鉄工所から始まって自動車の組み立てラインに至るという、かつてのアメリカの自動車ビッグスリーの工場みたいです。
企業が海外移転をすると言う事は、これら雇用と技術の流出でもあります。日本で頑張っている企業にはぜひ国内雇用を守る意味でも国内で踏ん張って頂きたいですね。
17:05辺りにて、CG風のグラフィックが観れたのには驚きました!アナログ技術でもあんな美しいグラフィックが作れるなんて。
勘ですが、壁に色のついた光を投影して映しているのではないかと思いました。
双三極管の組み立て、合金型Geトランジスタの製作過程、ゾーンメルト法による半導体精製等々、話には聞いていたが動画では初めて見るものが多くて刺激的。
この頃、工員のお姉さんだった方たちに見てもらいたい。おそらく今は80~90歳くらいの方だろうから。
現代の感覚だねこの時代の女工さんはみんな中卒で働いて二十歳頃には結婚してたよだから映像に映ってる人たちは、今頃70〜80才じゃないかな
鮮明な画像と内容に深く感銘を受けました。技術の進歩=豊かな未来 という図式をだれも疑わなかった良き時代でした。格差や貧困が進み、自然災害の脅威に怯える現在の姿にはあらためて考え込んでしまいます。
格差も自然災害も、この時代の方が酷かったのは間違いないです。多分、この時代には今より希望が多かったのでしょうそれと過ぎた時代は思い出に美化される
半導体に変わってからユニット単位になったり1枚基盤になったり製品精度と製造効率は上がって製造に必要な人数も少なくなって、最後は為替レートの関係で製造の海外移転が進んで日本から製造が無くなっていきました。
戦後十数年でこの進歩はまさに”東洋の奇跡”ですね。
実家に昭和34年度の「松下電器総合カタログ」なるものがあったのです。その頃はトランジスタはまだディスクリート(ま、個別部品)扱いだったのに、2年後のこの動画ではなんとトランジスタテレビが製品になってる!(高周波回路をどんなTrで組んだの?)この頃の貪欲な新技術の取り込みってすごいよ。
高周波は、2SA100みたいなものでしょうね。これより古いかな
この時代TVのアンテナは1台に1本で今の様な分配という懸念が無かったので団地等の集合住宅の屋上には各家庭が建てたTVのアンテナが乱立しておりました。
すごい!!この時代を駆け抜けたかったです。貴重な資料を見させて頂きました!
“真空管など進歩した電子技術”という文には時代を感じますね。
この映画が昭和36年ということで、うちには既にテレビがあったんだけどそんな昔にもこんな技術があったのだと感心する。現在はどれだけ進歩したのだろうか。
バーディーマーカーのスイープ波形とか、懐かしい。いやあ素晴らしい内容でした。画質も最高です。
この時代のエンジニアは大変でもやり甲斐があっただろうな。今時のエンジニアは悲惨だよ。
11:50すごい美人さんですね😮
15:30から映っている飛行機や船に時代を感じるとともに今となっては交通関係の貴重な映像だと思いますANAのバイカウント?やJALのDC-6?や旧:関西汽船の客船とか(もし今のロイヤルウィングだったら驚く!)でも今は茨木のテレビ工場はもう無いですね
某大手物流会社の関西拠点ですね
03:10 ブラウン管の中を飛ぶ電子を視覚化された映像に感激。04:41 真空管の「新製品」が印象的。05:05 「トランスが要らない」のは戦時設計の危険なトランスレスとは別物でしょうね。05:45 シリコン・バリオードとはバリキャップのようなモノ?11:25 シャシーを色々な向きにできる組み立て工程が面白い。13:17 検査をするにも真空管が暖まって安定するに時間がかかったのかな?
ガチャガチャまわすチャンネルがよく壊れた記憶があります。電波の微調整は当時は手慣れたものでした。懐かしいです。
up有難うございます。管球いいですね。昭和40年代初期の頃に教育テレビで 、テレビ技術講座がありました自動車構造講座もありました弟が見てました
焼けたり埃かぶったりしわだらけになったりの印象しか無い部品やおねえさん達が、ピカピカのピチピチだ!!見ているだけで元気になりました。
このおねえさんたちも生きていれば90近いんでしょうね時の流れや人間の儚さを感じますもののあはれ
23:15で観れるもの、1961年のものでありながらコンピュータ・グラフィックスっぽくっていい感じです!
電気製品も扱ってた村の萬屋です 昭和の時代は儲けさせて頂いてました高度成長やオリンピックの景気でしたね 当時テレビを お買い上げ頂くとアンテナが付帯工事として付いて回りました 助手を雇ったりで大変でした七十年代からカラーも滲みなく出るようになって 買い替えが発生しました安い物でも十万円超してた時代です 御贔屓頂いた方々 お礼申し上げます隣町に量販店出来たのが七十五年でした 電気器具販売は翌年止めることになりました おいしい時代でした
素晴らしい動画電験の理論分野の勉強している人は是非見てほしい。
オートメーション化された工場といっても、おねえさんたちの手作りに近いですよね。人間のひとりひとりの能力が、産業にしっかりと反映されていた時代ですね。今はいくら手先が器用でも熟練の技を持っていても、産業社会で必要とされなくなってしまった。自分は子供のころから手先が器用だったので、それを活かせるような仕事がしたかったけど、大人になったとき手先のテクニックが必要な仕事はめっきり無くなっていて、あっても労働条件が劣悪だったり給料が激安だったりで愕然とした覚えがある。
今の電子技術を2080年頃に見る人は・・きっと同じような感覚で見てしまうんだろうなぁ。我々の世代は真空管からCPUまで結構激しい変革だったけど、まだ宇宙文明0.72なんだよねぇ。
20:49くらいで聞ける電子音、当時のものとしてはなかなか凄いですね!カラーテレビの映像出力テストで観れるアナログ的なCGはいい感じです。終盤にてオシロスコープの波形として観れるアナログ的CGもいい感じです!
純電子式のオルガンは出始めでモーグ・シンセサイザーも登場していない時代、この音はどのように作られたのか気になりますね。もちろん真空管やトランジスタを使って発振や変調はできるわけですが、それを音楽的に使いこなすとなると?
手作り感が半端ない。
白黒テレビだが、部品数の多さ、配線材の多さにはビックリしましたねそれを流れ作業で、作っていた昭和36年、凄いな
屋根の上に立ち並ぶ真新しいVHFアンテナが、時代を感じさせますね。
19:25くらいから見えるお姉さん方の手がキレイで見とれてしまいました☺️
この作品の映像に有りますMEC 高槻工場は今はエコ ソリューションズ社高槻工場に名称が変更されて今でも操業中ですね🎵
昔、白黒テレビで深夜番組(11PMなんか)隠れて観ていて、親が入ってきたりして慌てて消したりすると、真ん中にポツンと点が残って、焦っていた。
6:48パナソニック・ライティングデバイスですね。照明器具の生産になりました。7:17今は全く別会社の「倉庫」になりましたね。某大手物流会社の関西デポですね。7:28最寄り駅は「西三荘」だそうですね。因みに門真市駅には記念館があります。
道に落ちている石ころで検波回路を作りラジオを聞いていた。61年は、生まれた年だが、3,4歳のときやっと田舎にも何台かTVがはいってきてよく近所見に言っていたなあ 親父はTVキットを購入し作って家でも見れるようになった
7:00で出てくる円形の工場、まだ現存するようですね(Google航空写真で見る限りは)。JR摂津富田駅の北側です。
全てナショナルの当時の女子社員でしょうか。存命なら70歳か80歳でしょうか。工場もテレビも女子社員も綺麗ですね。この当時のナショナル社員なんて花形職業だったのでは?
実に見ごたえのある映像でした。私は、3年前まで、電気機器メーカーに勤務していて、最初の3年間(1981~83年くらい)は、ブラウン管工場に勤務していました。 以後、半導体レーザー、撮像管、表示管、ビューファインダー管、業務用照明ランプ、点灯管、丸型蛍光灯など、様々なものづくりの現場で働いて来ました。 最近では、真空管を知らない世代も増えてきたこと、また、ものづくり、工場勤務に良いイメージを持っておられない方もいらっしゃるようで、残念でなりません。 そうした方々にこそ、この映像はぜひともご覧いただきたいと思いました。
身近に現場があるからこそ興味が持てることもあるでしょうね。
確かに最近は工場勤務の人を下に見ている人が増えた。工業立国だという事を忘れた結果、日本は衰退してきた。
強いガラス、高い温度や湿度に耐える良心最近、金儲け一辺倒たる私たち日本のメーカーや技術者は良心を失ってはいなかっただろうか単に金儲けのための製品作りなら中韓に変らずしかし日本の製品を世界が今日も認めるのは技術ではあるまい私たちに残っている日本人の良心なのだ
それほど金儲けをしないと暮らしていけない今の時代物価は上がって給料は変わらない
@@SuitTrain むしろ給与は下がっている😅
当時は日本が一番金儲けにあくせくしてた頃だよ。
うーむ、「技術の良心」改めて新鮮。。
この番組はパナソニックの提供でお送り致します。
ナレーションの終わりで「21世紀への階段は…エレクトロニクスによる映像と音の限りなく華やかな花道です」とあるが、そのエレクトロニクスによる映像と音の華やかな21世紀への階段を登りきったところに待っていたのは、ネットやAIといったサイバーテクノロジーに取って代わられた、別の華麗なる、しかし人のぬくもりが感じられない「花道」だったとは。。。
階段を登り切ったところに待っていたのは「NHKの集金人の訪問」でした!
12:04 からげ配線による実装は面実装全盛の昨今ではお目にかかれないですね
18:50 この若い子達は、今じゃ80代の年寄りか。
15:47 いつぞやの京阪特急に「テレビカー」というのがありました。こういう方式でアンテナが動いていたのですね。
1:49後に左からになりますが(カラー放送が全日の9割に成った頃。いわゆる「腸捻転」前後でしょうか)読売テレビ、朝日放送、関西テレビ、毎日放送、NHK2波
トランジスタ組み立ててる女工さんたち職人やな…
2022年の今は、当時からするととんでもない未来なんですね。実感しました。
電極の穴の本来の用途が初めて分かった。ラジオペンチ一本であんなに手早く配線できるものなんだね。
人力によってテレビ受像機が量産されていくところは凄いですね!部品の取り付けをミスらないだろうかと心配になります。今だったらコンピューター搭載の機械によって、機械だけで量産されているでしょうね。20世紀後半になって、電灯以外の家電製品や自家用車が普及したのは、コンピューター搭載の機械によって、より多く量産出来るようになったからだと思います。歴史の裏を暴くのって楽しいですね!
7:18 大阪の茨木も「いばらき」読みじゃなかったっけ?
素子の配列が真空管アンプのように手作業でこれが日本で作られていた。まさに世界の工場だったころの日本。当時の価格でカラーテレビは30万 当時の大卒初任給が15700円 クルマ買うくらいの感じですね。
これまだ戦後16年しか経ってないんですよねまぁ何もかもが破壊されたわけではないとはいえ、復興早いなぁ
こんな時代があるから今があるんだな。戦後まもないのにすごいよね。
原子力発電所のビデオを見ましたが、電力の安定供給がなされていないと工場の機械の安定的な動作も無いわけですから、大事なんだなと。全部つながっているんですね。
子供の頃トリニトロンのカラーテレビはブラウン管の形が独特なので高級に感じた。
真空管アンプとか趣味で作ってる人はテレビの配線作業のシーンは圧巻だろうね~ラジペンをあんな手際よく使ってリード線をラグ端子にからげられる人なんて今はそんな居ないだろ
9:55 夜の雰囲気すき
僕が3歳の頃のビデオだけど、FM放送と同時にTV放送が始まったんだね☀️AFC、FMはFM、TVに不可欠だものね☀️
おじいちゃん
今は半導体の劇的な進歩でTVもより薄型で大型化したのは凄い事です
真空管とトランジスタは、共存していた時代があったとは
2022年、ケイ素と炭素を使ったパワートランジスターが実用化されています。凄い・・・
私は90年代業務用TVモニターを設計する技術者でした。しかし天下の松下はさすがに製造ラインや研究開発にかけるお金は凄いですね。同じなのは部品の壊れないマージンを取っているために燃えたりしないことでしょう。某国の家電品はそういうことを考えずに設計、無試験で売ってしまうから製品が次々と火を噴いたりするんでしょう。
自分の趣味で、昔の業務用モニター(Sony PVMなど)をいくつか所有しています。もともとの定価が凄まじい金額なだけあり、精密につくられていることに感動しています。
8:38←これって、何をしているのか分かりますか?
@@バンガアミーオの25 湿気除けと絶縁のためだと思います
14:30 家電のものづくりで一番最悪のシナリオは、故障することではなく、製品が人に危害を加えてしまうこと。 例えすべての製品が5年で故障するようなものでもメーカーは一切関知しないが、一人でもやけがや最悪死者が出たら即回収の対象となる。 映像では「技術の良心」と言っているが、実際のところは人に危害を加えないか(過酷な環境で燃えないか、有毒ガスを出さない等)確認をしてる。
「21世紀への階段はエレクトロニクスによる映像と音の限りなく華やかな花道です」1961年のフィルムですがその通りになりました。
トランジスタを手で組み立てるような時代にこの映像を余すことなく見られるテレビはなかっただろうなそう思うと不思議な気分だw
子供の頃すでに古臭いと思っていたテレビのデザインが、今だとおしゃれに見えてしまうのな何故だろう
4:41真空管7DJ8今調べたらヤフオクにあった
7:28 一部ですが「ららぽーと」などが出来るそうです。令和5年2月現在
機械式チューナーVHFはチャンネルつまみを回して、コイルを切り替える方式で選局する。UHFはチャンネル数が多いので、コンデンサーの容量を変える方式で選局する。この仕組みは、ラジオ、FM受信機と同じである。
ラジオのバリコンを懐かしむ人がいるけど可変容量ダイオードはアナログテレビ時代から時代の要請としてあったわけだな
全てがアナログ 面白かった時代明日は今日よりも確実に良くなってた時代郵便定期預金に預ければ10年で倍になった時代
これが部品から自前で作っちゃう垂直統合型というものか。当たり前な気がしてたが、今見ると大変なことしちゃってんだね。
すごい…手作り…
当時はテレビを自分で組み立てるキットもあった。
7:28いわゆる「聖地」も半分が解体され「本部」は東京に移りましたが関西の中堅企業としての誇りは消さないで欲しいですね。
真空管の時代、テレビの調子が悪いとテレビを叩いたものだ。それで治るのだから不思議。
17:35 3管式プロジェクターかな?
今、2020.11.08です。現在の技術も未来の基盤と考えると、とんでもない未来がある😍
情報を電波に乗せるという形で乗せる情報がアナログかデジタルか位で概念は実の所あんまり変わらなかったりするんですな。
アノードキャップで感電して指に穴が開いたり
画像が鮮明なので信じられないが、この映画の中で働いている若い女工さんたちはもうとっくに80歳を超えているんだな。またこの映画に携わった人々の多くはもうすでに鬼籍に入っているのだろう。こうした人々の尽力があって今の私たちの生活があることを忘れてはならない。
59年前なので70代後半もいると思われる。
俺達がその恩恵を受けている事も忘れてはいけない。
「ふ~ん 真空管とか進歩した技術か・・・」とか言って笑ってはいけない。まあ今じゃ真空管は真空管にしか出せない独特の特性を味わうとか懐古的なイメージしかないが。強いて言えば放射能には強い。
よくわからん芸能人が出てこない、変なクイズが挟まれない、工場の人へのインタビューとか無い。こういう番組をやってくれたらなぁ…
インタービューで"ビエラ"って知ってる?
と聞いてみたい。
ウザいワイプもないしね
60年以上前のTV工場見学ができるとは。しかもカラーで。
いいものを見せてもらいました。
感動です。50年以上前にこの技術、そして工場の人たちの細かな作業と製作技術。素晴らしいです。下手な最近の映画やテレビ番組観るよりずーと面白く良い作品でした。
25:51
60年近く前の映像なのに夢を感じるのはどうしてだろう。そしてテレビジョン工場で働いている一人一人が誇りを持っているようだ。今の日本が必要とするものがここにあるように思う。
懐かしい映像です、これこそ電子工学と言えるでしょう。
このような精密なもの造りをもう一度経験してみたいです。
現在では、すべて一枚のCPU基板で処理されており、味気ない感じがしています。
私は大学で電子工学専攻しましたが、その動機が、真空管電子回路です。
アルミのシャーシーを加工し、真空管を使って、アンプを組み立てたことがあります。
電子技術になったつもりで工作していました。
また、研究室では、パイレックスガラスをガスバーナーを使って加工し、電子管をくみたてた経験があります。大変懐かしいです。
携帯やスマホサイズでテレビが見れるようになるとは思っても見なかったでしょうね。
基礎を作った先人の方々には敬意を払います。
松下の一貫生産のシステムも素晴らしいけど、この映画の製作技術がまた素晴らしい。
フィルム撮影フィルム編集の時代に、よくぞこれだけの作品を作り上げたとものだと感心します。映像の美しさはもちろん、テレビ受像機の原理や各製造工程の作業を分かりやすく説明するための工夫が随所に見られて、当時の映画製作会社の方たちの努力と技術の高さが伺えます。現代はデジタルで編集も視覚効果も自在ですが、これだけの作品に仕上げることは並大抵ではありません。何度も見てしまうほどに見応えのある映画です。
今時のテレビ番組なんかより面白くて作りが丁寧
映画だからね
子供の時(昭和生まれです)、通電中テレビの後ろの中を覗いて、真空管からの光が、町の明かりに似ていて、きれいだと思いましたね。思い余って手を触れて感電した(汗)苦い思いをした事がありましたが、この動画でもう一度真空管のテレビを覗きたい衝動に駈られます。また、現在失われつつある、物作りに対する日本の姿勢を取り戻して欲しいと祈らずにはいられません。貴重な動画ありがとうございます。
え?...感電大丈夫でしたか!?
町の灯り、うまいこと言いますな!僕の昭和51年なんですが、ギリ見たことあります。好きです。あの灯り。
平成二桁生まれですが、確かに電子銃のオレンジ色のキラキラとした光が見えました。
てれびしびれて(回文)
今となっては枯れすぎた技術に写るのでしょうが、当時の方たちの積み重ねによって今の生活、技術があるのだと感じました。
古くさい考え方とは思いますが、家電に限らず今の技術、方法論は過去からの積み重ねなのでこの様な資料が一般に簡単に見られる良い世の中になったと思います。
枯れたというよりもはやロストしてますね。再現できないんじゃないでしょうか。
つい十数年前まで主流だったアナログのブラウン管テレビの構造と製造過程、そして黎明期の半導体の製造過程が精緻な映像で記録されている。60年前とは思えない精緻さ。TVのシャシーを組み立てている工員さんの表情が美しい。
この時に、会社の技術者として新技術を研究開発したかった。何も開けていない道を進むのって絶対に楽しいじゃん。
きれいな画像で感動しました。そして日本の物作りの良心を見た気がします。割りと詳しい解説で勉強になったというか、今の暮らしがあるのもこうした先人たちのご苦労お陰なんだなと感謝せずにはいられませんね。
動画に出てくる真空管テレビ(T14-Z1M)はつい先日ジャンク品をレストアした所でした。
なんかシャーシ似てるなーと思って見てたら…まさか、あのテレビが作られた時の映像が見れるなんて感激です。
14:07 強度試験のところ、普通に心構えしてなくてドキッとした
CRT TV manufacturing. We used to own one in Ethiopia 40+ yrs ago. The national panasonic TV with 4 legs and a shutter door. The magnificient Japan🙏
家電業界が最も潤った時期だね、良くも悪くも昭和は素晴らしい
とても貴重な映像遺産ですね。
この時代の未来に今生きているという驚きと『繋がっている』ことへの感動、とても新鮮です。
古いエンジニアから聞いた話ですが大型のブラウン管を創るのにはいろいろな製造ノウハウが必要だったそうです。正にロストテクノロジーになってしまいましたが。
部品から完成まで全て松下って、すごいことですね。
鉄工所から始まって自動車の組み立てラインに至るという、かつてのアメリカの自動車ビッグスリーの工場みたいです。
企業が海外移転をすると言う事は、これら雇用と技術の流出でもあります。
日本で頑張っている企業にはぜひ国内雇用を守る意味でも国内で踏ん張って頂きたいですね。
17:05辺りにて、CG風のグラフィックが観れたのには驚きました!
アナログ技術でもあんな美しいグラフィックが作れるなんて。
勘ですが、壁に色のついた光を投影して映しているのではないかと思いました。
双三極管の組み立て、合金型Geトランジスタの製作過程、ゾーンメルト法による半導体精製等々、話には聞いていたが動画では初めて見るものが多くて刺激的。
この頃、工員のお姉さんだった方たちに見てもらいたい。おそらく今は80~90歳くらいの方だろうから。
現代の感覚だね
この時代の女工さんはみんな中卒で働いて二十歳頃には結婚してたよ
だから映像に映ってる人たちは、今頃70〜80才じゃないかな
鮮明な画像と内容に深く感銘を受けました。技術の進歩=豊かな未来 という図式をだれも疑わなかった良き時代でした。格差や貧困が進み、自然災害の脅威に怯える現在の姿にはあらためて考え込んでしまいます。
格差も自然災害も、この時代の方が酷かったのは間違いないです。
多分、この時代には今より希望が多かったのでしょう
それと過ぎた時代は思い出に美化される
半導体に変わってからユニット単位になったり1枚基盤になったり製品精度と製造効率は上がって製造に必要な人数も少なくなって、最後は為替レートの関係で製造の海外移転が進んで日本から製造が無くなっていきました。
戦後十数年でこの進歩はまさに”東洋の奇跡”ですね。
実家に昭和34年度の「松下電器総合カタログ」なるものがあったのです。
その頃はトランジスタはまだディスクリート(ま、個別部品)扱いだったのに、
2年後のこの動画ではなんとトランジスタテレビが製品になってる!(高周波回路をどんなTrで組んだの?)
この頃の貪欲な新技術の取り込みってすごいよ。
高周波は、2SA100みたいなものでしょうね。これより古いかな
この時代TVのアンテナは1台に1本で今の様な分配という懸念が無かったので
団地等の集合住宅の屋上には各家庭が建てたTVのアンテナが乱立しておりました。
すごい!!この時代を駆け抜けたかったです。
貴重な資料を見させて頂きました!
“真空管など進歩した電子技術”という文には時代を感じますね。
この映画が昭和36年ということで、うちには既にテレビがあったんだけどそんな昔にもこんな技術があったのだと感心する。現在はどれだけ進歩したのだろうか。
バーディーマーカーのスイープ波形とか、懐かしい。
いやあ素晴らしい内容でした。画質も最高です。
この時代のエンジニアは大変でもやり甲斐があっただろうな。今時のエンジニアは悲惨だよ。
11:50すごい美人さんですね😮
15:30から映っている飛行機や船に時代を感じるとともに今となっては交通関係の貴重な映像だと思います
ANAのバイカウント?やJALのDC-6?や旧:関西汽船の客船とか(もし今のロイヤルウィングだったら驚く!)
でも今は茨木のテレビ工場はもう無いですね
某大手物流会社の関西拠点ですね
03:10 ブラウン管の中を飛ぶ電子を視覚化された映像に感激。
04:41 真空管の「新製品」が印象的。
05:05 「トランスが要らない」のは戦時設計の危険なトランスレスとは別物でしょうね。
05:45 シリコン・バリオードとはバリキャップのようなモノ?
11:25 シャシーを色々な向きにできる組み立て工程が面白い。
13:17 検査をするにも真空管が暖まって安定するに時間がかかったのかな?
ガチャガチャまわすチャンネルがよく壊れた記憶があります。電波の微調整は当時は手慣れたものでした。懐かしいです。
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教育テレビで 、テレビ技術講座がありました
自動車構造講座もありました
弟が見てました
焼けたり埃かぶったりしわだらけになったりの印象しか無い部品やおねえさん達が、ピカピカのピチピチだ!!
見ているだけで元気になりました。
このおねえさんたちも生きていれば90近いんでしょうね
時の流れや人間の儚さを感じます
もののあはれ
23:15で観れるもの、1961年のものでありながらコンピュータ・グラフィックスっぽくっていい感じです!
電気製品も扱ってた村の萬屋です 昭和の時代は儲けさせて頂いてました
高度成長やオリンピックの景気でしたね 当時テレビを お買い上げ頂くと
アンテナが付帯工事として付いて回りました 助手を雇ったりで大変でした
七十年代からカラーも滲みなく出るようになって 買い替えが発生しました
安い物でも十万円超してた時代です 御贔屓頂いた方々 お礼申し上げます
隣町に量販店出来たのが七十五年でした 電気器具販売は翌年止めることに
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素晴らしい動画
電験の理論分野の勉強している人は是非見てほしい。
オートメーション化された工場といっても、おねえさんたちの手作りに近いですよね。
人間のひとりひとりの能力が、産業にしっかりと反映されていた時代ですね。
今はいくら手先が器用でも熟練の技を持っていても、産業社会で必要とされなくなってしまった。
自分は子供のころから手先が器用だったので、それを活かせるような仕事がしたかったけど、大人になったとき手先のテクニックが必要な仕事はめっきり無くなっていて、あっても労働条件が劣悪だったり給料が激安だったりで愕然とした覚えがある。
今の電子技術を2080年頃に見る人は・・きっと同じような感覚で見てしまうんだろうなぁ。
我々の世代は真空管からCPUまで結構激しい変革だったけど、まだ宇宙文明0.72なんだよねぇ。
20:49くらいで聞ける電子音、当時のものとしてはなかなか凄いですね!
カラーテレビの映像出力テストで観れるアナログ的なCGはいい感じです。終盤にてオシロスコープの波形として観れるアナログ的CGもいい感じです!
純電子式のオルガンは出始めでモーグ・シンセサイザーも登場していない時代、この音はどのように作られたのか気になりますね。もちろん真空管やトランジスタを使って発振や変調はできるわけですが、それを音楽的に使いこなすとなると?
手作り感が半端ない。
白黒テレビだが、部品数の多さ、配線材の多さには
ビックリしましたね
それを流れ作業で、作っていた昭和36年、凄いな
屋根の上に立ち並ぶ真新しいVHFアンテナが、時代を感じさせますね。
19:25くらいから見えるお姉さん方の手がキレイで見とれてしまいました☺️
この作品の映像に有りますMEC 高槻工場は今はエコ ソリューションズ社高槻工場に名称が変更されて
今でも操業中ですね🎵
昔、白黒テレビで深夜番組(11PMなんか)隠れて観ていて、親が入ってきたりして慌てて消したりすると、真ん中にポツンと点が残って、焦っていた。
6:48パナソニック・ライティングデバイスですね。
照明器具の生産になりました。
7:17今は全く別会社の「倉庫」になりましたね。
某大手物流会社の関西デポですね。
7:28最寄り駅は「西三荘」だそうですね。
因みに門真市駅には記念館があります。
道に落ちている石ころで検波回路を作りラジオを聞いていた。
61年は、生まれた年だが、3,4歳のときやっと田舎にも何台かTVがはいってきて
よく近所見に言っていたなあ 親父はTVキットを購入し作って家でも見れるようになった
7:00で出てくる円形の工場、まだ現存するようですね(Google航空写真で見る限りは)。JR摂津富田駅の北側です。
全てナショナルの当時の女子社員でしょうか。存命なら70歳か80歳でしょうか。工場もテレビも女子社員も綺麗ですね。
この当時のナショナル社員なんて花形職業だったのでは?
実に見ごたえのある映像でした。
私は、3年前まで、電気機器メーカーに勤務していて、最初の3年間(1981~83年くらい)は、ブラウン管工場に勤務していました。
以後、半導体レーザー、撮像管、表示管、ビューファインダー管、業務用照明ランプ、点灯管、丸型蛍光灯など、様々なものづくりの現場で働いて来ました。
最近では、真空管を知らない世代も増えてきたこと、また、ものづくり、工場勤務に良いイメージを持っておられない方もいらっしゃるようで、残念でなりません。
そうした方々にこそ、この映像はぜひともご覧いただきたいと思いました。
身近に現場があるからこそ興味が持てることもあるでしょうね。
確かに最近は工場勤務の人を下に見ている人が増えた。工業立国だという事を忘れた結果、日本は衰退してきた。
強いガラス、高い温度や湿度に耐える良心
最近、金儲け一辺倒たる私たち日本のメーカーや技術者は良心を失ってはいなかっただろうか
単に金儲けのための製品作りなら
中韓に変らず
しかし日本の製品を世界が今日も認めるのは技術ではあるまい
私たちに残っている日本人の良心なのだ
それほど金儲けをしないと暮らしていけない今の時代
物価は上がって給料は変わらない
@@SuitTrain むしろ給与は下がっている😅
当時は日本が一番金儲けにあくせくしてた頃だよ。
うーむ、「技術の良心」
改めて新鮮。。
この番組はパナソニックの提供でお送り致します。
ナレーションの終わりで「21世紀への階段は…エレクトロニクスによる映像と音の限りなく華やかな花道です」とあるが、そのエレクトロニクスによる映像と音の華やかな21世紀への階段を登りきったところに待っていたのは、ネットやAIといったサイバーテクノロジーに取って代わられた、別の華麗なる、しかし人のぬくもりが感じられない「花道」だったとは。。。
階段を登り切ったところに待っていたのは
「NHKの集金人の訪問」でした!
12:04 からげ配線による実装は面実装全盛の昨今ではお目にかかれないですね
18:50 この若い子達は、今じゃ80代の年寄りか。
15:47 いつぞやの京阪特急に「テレビカー」というのがありました。
こういう方式でアンテナが動いていたのですね。
1:49後に左からになりますが
(カラー放送が全日の9割に成った頃。
いわゆる「腸捻転」前後でしょうか)
読売テレビ、朝日放送、関西テレビ、毎日放送、NHK2波
トランジスタ組み立ててる女工さんたち職人やな…
2022年の今は、当時からするととんでもない未来なんですね。実感しました。
電極の穴の本来の用途が初めて分かった。ラジオペンチ一本であんなに手早く配線できるものなんだね。
人力によってテレビ受像機が量産されていくところは凄いですね!
部品の取り付けをミスらないだろうかと心配になります。
今だったらコンピューター搭載の機械によって、機械だけで量産されているでしょうね。
20世紀後半になって、電灯以外の家電製品や自家用車が普及したのは、コンピューター搭載の機械によって、より多く量産出来るようになったからだと思います。
歴史の裏を暴くのって楽しいですね!
7:18 大阪の茨木も「いばらき」読みじゃなかったっけ?
素子の配列が真空管アンプのように手作業でこれが日本で作られていた。
まさに世界の工場だったころの日本。
当時の価格でカラーテレビは30万 当時の大卒初任給が15700円 クルマ買うくらいの感じですね。
これまだ戦後16年しか経ってないんですよね
まぁ何もかもが破壊されたわけではないとはいえ、復興早いなぁ
こんな時代があるから今があるんだな。戦後まもないのにすごいよね。
原子力発電所のビデオを見ましたが、電力の安定供給がなされていないと工場の機械の安定的な動作も無いわけですから、大事なんだなと。
全部つながっているんですね。
子供の頃トリニトロンのカラーテレビはブラウン管の形が独特なので高級に感じた。
真空管アンプとか趣味で作ってる人はテレビの配線作業のシーンは圧巻だろうね~
ラジペンをあんな手際よく使ってリード線をラグ端子にからげられる人なんて今はそんな居ないだろ
9:55 夜の雰囲気すき
僕が3歳の頃のビデオだけど、FM放送と同時にTV放送が始まったんだね☀️AFC、FMはFM、TVに不可欠だものね☀️
おじいちゃん
今は半導体の劇的な進歩でTVもより薄型で大型化したのは凄い事です
真空管とトランジスタは、共存していた時代があったとは
2022年、ケイ素と炭素を使ったパワートランジスターが実用化されています。凄い・・・
私は90年代業務用TVモニターを設計する技術者でした。しかし天下の松下はさすがに製造ラインや研究開発にかけるお金は凄いですね。同じなのは部品の壊れないマージンを取っているために燃えたりしないことでしょう。某国の家電品はそういうことを考えずに設計、無試験で売ってしまうから製品が次々と火を噴いたりするんでしょう。
自分の趣味で、昔の業務用モニター(Sony PVMなど)をいくつか所有しています。もともとの定価が凄まじい金額なだけあり、精密につくられていることに感動しています。
8:38←これって、何をしているのか分かりますか?
@@バンガアミーオの25 湿気除けと絶縁のためだと思います
14:30 家電のものづくりで一番最悪のシナリオは、故障することではなく、製品が人に危害を加えてしまうこと。 例えすべての製品が5年で故障するようなものでもメーカーは一切関知しないが、一人でもやけがや最悪死者が出たら即回収の対象となる。 映像では「技術の良心」と言っているが、実際のところは人に危害を加えないか(過酷な環境で燃えないか、有毒ガスを出さない等)確認をしてる。
「21世紀への階段はエレクトロニクスによる映像と音の限りなく華やかな花道です」
1961年のフィルムですがその通りになりました。
トランジスタを手で組み立てるような時代に
この映像を余すことなく見られるテレビはなかっただろうな
そう思うと不思議な気分だw
子供の頃すでに古臭いと思っていたテレビのデザインが、今だとおしゃれに見えてしまうのな何故だろう
4:41真空管7DJ8今調べたらヤフオクにあった
7:28 一部ですが「ららぽーと」などが
出来るそうです。
令和5年2月現在
機械式チューナー
VHFはチャンネルつまみを回して、コイルを切り替える方式で選局する。
UHFはチャンネル数が多いので、コンデンサーの容量を変える方式で選局する。
この仕組みは、ラジオ、FM受信機と同じである。
ラジオのバリコンを懐かしむ人がいるけど可変容量ダイオードはアナログテレビ時代から
時代の要請としてあったわけだな
全てがアナログ 面白かった時代
明日は今日よりも確実に良くなってた時代
郵便定期預金に預ければ10年で倍になった時代
これが部品から自前で作っちゃう垂直統合型というものか。当たり前な気がしてたが、今見ると大変なことしちゃってんだね。
すごい…手作り…
当時はテレビを自分で組み立てるキットもあった。
7:28いわゆる「聖地」も半分が解体され
「本部」は東京に移りましたが
関西の中堅企業としての誇りは消さないで欲しいですね。
真空管の時代、テレビの調子が悪いとテレビを叩いたものだ。それで治るのだから不思議。
17:35 3管式プロジェクターかな?
今、2020.11.08です。
現在の技術も未来の基盤と考えると、とんでもない未来がある😍
情報を電波に乗せるという形で乗せる情報がアナログかデジタルか位で概念は実の所あんまり変わらなかったりするんですな。
アノードキャップで感電して指に穴が開いたり
画像が鮮明なので信じられないが、この映画の中で働いている若い女工さんたちはもうとっくに80歳を超えているんだな。またこの映画に携わった人々の多くはもうすでに鬼籍に入っているのだろう。こうした人々の尽力があって今の私たちの生活があることを忘れてはならない。
59年前なので70代後半もいると思われる。
俺達がその恩恵を受けている事も忘れてはいけない。
「ふ~ん 真空管とか進歩した技術か・・・」とか言って笑ってはいけない。
まあ今じゃ真空管は真空管にしか出せない独特の特性を味わうとか懐古的なイメージしかないが。
強いて言えば放射能には強い。